訃報

big-cobra2015-04-30

昭和を彩った名レスラーの一人「ダンプガイ」阿修羅・原さんが亡くなられました…。
近年いわゆるレジェンドクラスの名選手たちが取材等でメディアに顔を出す事が多い中、原さんだけは全くその気配が無かったのでそれどころではないご体調なのかな…と気になっていた矢先の訃報でした。
奇しくも盟友・天龍源一郎の引退年…公の場に姿を見せなくても、何らかのメッセージを残して欲しかったのは言うまでもありません。
プロレスラーとしての原さんの一般的な評価は天龍源一郎の女房役として天龍革命を支えたバイプレイヤーといったところでしょうが、諸事情によるキャリアの中断さえ無ければ同世代の「鶴藤長天」に迫る大物になれたはずだと思うし、余りにもドラマチックで哀愁漂う「国際プロレス興亡史」の重要な登場人物の1人でもありました。

そんな原さんの初代テーマ曲、野坂昭如から「阿修羅」のリングネームを拝名する前、本名の原進名義でデビューした時に一度だけ使用したバリー・ホワイト&ラブアンリミテッドオーケストラの「愛の花束」。
若々しく爽やかなイメージで売り出そうとしていた事が伺える、他局には無い選曲センスが光る一曲。
紹介した音源はアルバム版ですが、実際に会場で使われたのはテイクの異なるシングル版でした。

テーマ曲ファンでなくとも阿修羅・原と言えばこれ…脳裏に鮮烈に刻まれる不朽の名曲「阿修羅」!
上田馬之助の「地獄へ堕ちろ!」、ラッシャー木村の「リバース・オブ・ザ・ビート」と並び、国際・新日・全日すべてで流された数少ない曲でもあります。

天龍同盟を結成してからはヴァン・ヘイレンの「ドリームス」に変わりました。あまりイメージに合わないという声もありながらSWS、WARと引退まで使われたのはご本人が「阿修羅」をあまり気に入っていなかった事と無縁ではないと思います。


そしてもう一人、AWAの帝王バーン・ガニア
ガニアが日本で最後に試合をしたのは昭和56年1月のジャイアント馬場3000試合連続出場突破記念試合なので、同年の春頃からプロレスを見始めた塾長はリアルタイムで全く見ることは出来なかったが、後追いながらガニアの輝かしい足跡に触れ本場アメリカの古き良き時代のトップレスラーの凄味に酔いしれたものでした。
とりわけ奇しくも同じタイミングで逝去された原さんとの昭和54年に行われたシングル戦では何とボディスラム一発で原さんをピンフォールし、派手な技に見慣れた自分は度肝を抜かされました。
認知症を患っておられたとはいえ89歳という事で、プロレスラーとしては大往生と言えるのではないでしょうか。

国際時代ガニアに初めて与えられたテーマはリック・ウェイクマンの「ビッグベン」。
時のエース、ラッシャー木村からIWA王座を奪った光景が甦ってくるような、目の覚めるシンセの音色が印象的です。

前述した馬場との特別試合で使われたのはミーコの「スターウォーズ」(アルバム版)。
海外中継のBGMでお馴染みの曲ですが、元々は本場AWAの会場で使われており、全日とAWAが本格提携を結んだことにより実現した全日勢のシカゴ遠征で、日本テレビの梅垣プロデューサーが会場でこれを聞いて日本でも採用したといういきさつがあります。
NWAの「ギャラクシーエクスプレス」の向こうを張った「AWAのテーマ」といった位置づけだったようで、同曲のシングル版がニック・ボックウィンクルの入場に使われた事もあります。


慎んで、お二方の御冥福をお祈り致します。